シケレペナイ沢

  • 2016.09.29 Thursday
  • 17:48

シケレペナイ沢 = シケレぺ・ナイ シコロの木の沢 です。

シコロとはキハダと言う胃腸に良いとする雑木です。

増水の直後、へし折れたキハダの幹が沢のあちこちに打ち上げられていました。

濡れたせいでしょうか、名の由来通りに美しい蜜柑色に染まっていました。

隆平のうちの子どもたちがまだ幼かったころ、おなかが痛いというと

キハダでも噛んどけ、父ちゃんはいつもそうして治してんだ。と真面目な顔して言ってました。

ほんとに噛んでいたかどうかは定かではありませんが、今度、森に来た時にその味をご案内しましょう。

 

おさかなさん こんにちは

 

川岸まで草木と花々が咲きみだれ、岩は苔むしていた美しい沢でした。

20年ほど前に比べると、クマザサがはびこってしまって

一時は岸部までたどり着けなくなってしまったのですが、

隆平が10年ほどかけて草を刈り続け、整備をして見事な小路を作りました。

次第に再び、季節の花が咲き乱れるようになり、

オショロコマやアメマスの稚魚が逃げ回り、川底には静かにカジカが見守っていました。

小さなたまりには、毎年たくさんのオタマジャクシやエゾサンショウウオがかえり、

ヤゴやみずすまし、アメンボ、カジカの子まで暮らしていました。

子どもたちとツリーハウスやひみつ基地を作り、

夏は飛び込み、泳ぎ、跳ね回り、冬は凍った上をそおっと歩き。

たくさんの思い出がつまった ひみつ基地とハンモック

 

この沢を取り囲む森は、いつも優しくて暖かくて、みんなに安らぎを与えてくれていました。

 

しかし、とてつもない力を持った濁流はすべてを飲み込み、岸壁をえぐり、

大きなヤナギやくるみの木もなぎ倒していきました。

 

ひみつ基地のなかには、最後に遊んだままごとのお茶碗が
そのまま葉っぱをのせて残っていた

 

ハンモックのロープを張っていた木
150mも下流で発見
かつてツリーハウスをつくったハルニレ
木の上に取り忘れていたロープを見つけた
シケレペの枝沢 通称ニイノ沢にも
水が走った跡が残る

 

ある週末に、友人たちが来てくれました。

泥でぬかるんでいたキャンプ場の芝に、土が戻ってきました。

無数にある倒木をまずは1本、そしてもう1本と切り出して運んでくれました。

 

倒木の山から慎重に運び出す

 

もう、同じように遊ぶことが出来なくなってしまったけれど、あの輝く森は戻ってこないけれど、

でも、じきにこの沢に魚たちだってかえってくる。

春にはまた可憐な花々だって咲いてくる。

 

「なんか 新しいことを考えようよ!」

この森で育った子が言いました。

そうだよね。

ここでしかできない、またおもしろいたんけんと冒険をくりひろげていこう。

どんころならできるさ。

 

 

森には静かに秋が来ていました

 

 

あき

 

 

 

 

 

3週間がたちました (4)

  • 2016.09.23 Friday
  • 20:22

さて、どんころ。

水源地の沢が崩壊していたことに気づいたのは、翌日。それまで出ていた水が、ぴたっと止まったのです。

水源はどんころから約1辧∪郷紊湧き出る沢に浸透桝2台を水道管でつないで設置していました。

落差で引っ張ってくる水は勢いもよく、また美味しい水でした。

 

目黒、原、隆平を筆頭に沢登りのようにたどり着いた水源地は

前の姿が想像できないほどに崩落し、深くえぐれ、濁った水が流れていました。

土砂で埋まってしまった浸透桝を掘り出し、無残にもちぎれていた本管のホースを探し当て、

沢に入れると、なんと途切れることなくどんころまで水は流れ始めたのです。

これだけ沢が暴れたにもかかわらず、大地はしっかりとライフラインを守ってくれていました。

目黒は奇跡だ!と。

下流の浸透桝から泥をかき出す

 

しばらくは濁った沢の水で何とかしのごうと思ったものの、

もちろん飲料にも使えず、すぐに取水口で詰まってしまい、安定せず、生活用水にも不便でした。

そんな時、自衛隊の給水車がまわってきて、五右衛門風呂にも水を入れてくれたのです。

久しぶりの透き通る水のお風呂、体を沈めるのがもったいないぐらいでした。

 

そして2つ目の奇跡がおこりました。

朝早く、原さんが草刈機を背負って上流と思われる方向にあるはずの浸透桝を探し、

ヤブをこぎ、岩壁を登りさらに登っていくと、

なんと岩肌からホースが飛び出して、それはそれは清らかな水を流していたというのです。

 

しかし、昔話を聞くように本題に入るまでがあまりにも長かったので、途中電話や他の応対をしながら聞いていると、

ほれ、ちゃんと聞け!これからがクライマックスなんだ!

原さんは、秘宝を見つけた少年のようにニヤニヤと久しぶりの笑顔を浮かべて話してくれました。

 

勢いよく出る水

 

道がえぐれて沢になってしまった
長い水道管を運ぶ

 

しかし、この水がどこから来ているのか、なぜこの水道管から出ているのか

濁りもなくきれいでありながら、時々機嫌を悪し、

ぐっと水圧を下げてしまうのも、まったくわかっていません。

水源までの道は崩れ、今は徒歩でしか行けません。

そして、むき出しの水道管はいずれ凍ります。

冬が来る前に、何とかしなくてはならないのです。

 

いつまでこの奇跡が続いてくれるのだろうか

あき
 

3週間がたちました (3)

  • 2016.09.23 Friday
  • 18:40

6時ぐらいになって、新野とコースケが山岳救助隊のように現れました。

土砂と倒木を乗り越えて、消防団から安否確認に来てくれたのです。

そこで初めて、空知川がこれまでにない大氾濫をおこし、

消防団や目黒など町内会役員が、夜中に一戸ずつ家を回って非難をさせていたこと。

狩勝国道閉鎖で立ち往生のドライバーも避難所へ向かい、落合で100人規模の避難所となっていること。

そして、幾寅では堤防が決壊し、市街地へ濁流が流れ込み、ヘリやボートが救助に出ていること。

富良野への国道の橋が崩落していること。

大災害に見舞われている事実を知りました。

氾濫の激しさを語る北落合橋に残された流木

 

どんころは電気×、電話×、ネット×、アクセス×、携帯時々○、食料:しばらく○、水:この時はまだ○、薪:○。

スタッフの安否確認を済ませ、どんころ内の仕事の整理、分担を始めました。

施設被災状況の把握、お客様へツアーキャンセル連絡、取引先ホテルへの連絡。

浸水を免れた管理施設の体育館、カーリング場を一時閉館、その申請者への連絡。

宿泊施設のあるスポーツ研修センターを開館したまま利用者と、帰宅困難者の一時避難受入れ。

道路閉鎖情報の整理、ライフラインとしての町道の復旧着手、避難所の運営と被災者への支援。

 

災害ボランティアセンター立ち上げの話が挙がってきたのは直後だったそうです。

国道が開通になって、コースケがいち早く幾寅の様子を見に行った際に、内田誠治と会います。

誠治は東日本大震災でのボランティアセンター運営経験からも、いち早く必要性を感じたのでしょう。

どんころからは消防団で落合の状況を把握していたコースケ、

そして、看護師であり保健師であり、多くのネットワークと人脈を持ち、

すでに、災害ボランティアのチームとも連絡を取り合っていたずん子を派遣することに。

南富良野町と社会福祉協議会、NPOどんころ&ボランティアでスタートすることになったのです。

笑顔と実行力 ずん子

 

この事態は長期化する。それぞれの場所でそれぞれが認識していました。

 

あき

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